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■ 参加者の御感想


参加者の御感想

2010/5/18に実施した上越教育大学3年・大学院の皆さんのレポートです。

講演風景1 講演風景2


A・BクラスC・Dクラス大学院


■A・Bクラス

Aさん 

 去年先輩方がこの講義のあとに、食べ物の味を変えるものがあるのだと私にお話してくださっていたので、今回の講義を受けるのを楽しみにしていた。さらに実際にギムネマを食べて飴の甘味がなくなったことを自分自身で体験したことで、味覚に関しての興味が非常に湧いてきて、詳しい仕組みについて知りたいと意欲がわいてきた。ここで感じたのは、特に子どもへの味覚教育をする場合に「自分での体験」は絶対必要だということだ。実体験することで「なぜ」という疑問をもつ導入にもなるし、記憶に残りやすく、やる気にもつながると考えられるからだ。特に印象に残った話は、「好き嫌いのメカニズム」についてである。私は非常に好き嫌いが激しく、将来教師になったとき・親になったときに絶対困るだろうと悩んでいた。しかし、どうしたら食べられるようになるかが分からなかったのだが、嫌いになるメカニズムは存在し、好き嫌いを直すためにできることもあるということを初めて知り、あきらめずに頑張ってみようと思えることができた。また、いかに自分が子どもの頃に味覚の形成がしっかりなされていなかったかを知り、子どもへの食育とは非常に重要な教育なのだということが分かった。自分が子どもの頃のことを思い出してみると、嫌いなものは無理やりでも食べるように指導され、食べられなかったら居残ってでも食べるという教育を受けてきた。しかし、この指導の仕方を今回の講義内容をふまえて改めて考えてみると、無理やり食べようとすることは「嫌だなと思って食べる」ことであるので「嫌い」という感覚を変えることには直接つながらないし、残ってでも食べなければいけない環境は子どもにとってはただの苦痛にしかならないので、子どもの中で「嫌な思い出・嫌な経験」としてインプットされるだけである。よって、好き嫌いを直すメカニズムに反し、自分から好んで食べられるようになる道のりからはほど遠くなってしまうことが考えられる。では私が教育者の立場になったときにはどのような指導をしたらよいのかを考えてみると、無理やり嫌なまま食べさせるのではなく子ども自身から「食べてみようかな」と思わせるような働きかけをしなければならないと思う。食事の時間は楽しいものだと思える環境作りや、嫌いな食物が一回でもおいしいと思えるように調理方法を工夫するなど様々な方法が考えられそうなので今後自分なりに考えてみたいと思う。
 味覚修飾植物については少し話を聞いたことはあったが、実際に医療現場で適用されていたり甘味剤が社会的に求められているということは初めて知った。糖尿病患者への適用という例がでていたが、このほかにも更なる応用方法の可能性を大きくもつものだと思う。現代の若者に糖尿病患者が多くなってきているというデータからもわかるように、食生活は時代によって変化し、それに伴って病気の種類も変化してくると考えられる中で、薬ではないが様々な面で有効活用できる味覚修飾植物のようなものは受容が大きくなってくるのではないだろうか。ゆえに、味覚修飾植物の今後の展開や知識をもつことが重要になってくると考える。また、味覚について関心をもつことも、食生活の意識にもつながり、生活習慣病や食生活の乱れから起こる病気などを防ぐきっかけになり重要であると思われる。



Bさん 

 私はテレビで、何度かミラクルフルーツを取り上げた番組を見たことがあったので、この講義を受けるのをとても楽しみにしていました。実際に講義を受けて、味覚について今まで知らなかったことをたくさん学ぶことができました。
 味蕾での判別方法は、鍵と鍵穴の関係に例えられる、というのはとてもわかりやすく、これなら小学生でも理解できるのではないかと思いました。また、赤ちゃんに味蕾が多いのは、彼らがまだ食べられるものと食べられないものの判別ができないため、味蕾で素早く感じ取って、食べてはいけないものを飲み込まないようにするためだということも初めて知り、動物に生まれつき備わっている生きるための能力はすごいな、と思いました。味蕾が上顎とのどにあるために、ビールなどの炭酸(二酸化炭素)を飲んだ時にのどでおいしいと感じることができるということや、ファーストフードやポテトチップスなどには、脳でおいしいと感じる油が含まれているためになかなかやめられないということ、行列ができているお店に並びがちなのは、人がたくさん並んでいるからおいしいお店なんだ、と感じてしまうからであるということなど、日常生活にかかわる内容もとても印象に残りました。教育的な観点から考えると、人の好き嫌いのメカニズムのひとつである、食事の際の「雰囲気」はとても大事だと思いました。これは、バーベキューなどみんなでワイワイ食べるとおいしく感じたり、逆に、何かを食べたときに叱られたためにその食べ物を嫌いになってしまったりすることで、教師であれば給食時にも気をつけなければならない事だな、と思いました。また、赤ちゃんは親を見て食べられるようになるので、親が好き嫌いをしたり食事のときに怒ってばかりだと、子どもは食べられなくなるということも知り、将来気をつけなければならないと感じました。他にも、味覚地図やレモンが体によいのはビタミンCがたくさん入っているから、など私自身が間違った知識をもっているものもあり、子どもたちに誤った情報を与えてしまわないよう、自分自身がまず正しい知識を身につける必要があると強く感じました。その意味で、この講義は新しい発見や初めて学ぶことがたくさんあり、とても有意義なものになりました。
 味覚修飾植物については、ミラクルフルーツ以外はこの講義で初めて知りました。ギムネマをかんでからミルキーを食べたら、甘いはずのミルキーが無塩バターのようになり、甘いものがすべてこのようになってしまうのかと考えたら、味覚障害はとても恐ろしい病気だと思いました。今の子どもたちや若者の食生活の乱れが叫ばれていますが、学校で味覚障害の恐ろしさをしっかりと教える必要があると思いました。ギムネマは、身をもって味覚障害の恐ろしさを伝えられるものだと思うので、このような授業にも役立てていけたらいいのではないかと思いました。ミラクルフルーツは、レモンが本当に甘くなってびっくりしました。また、今まではすっぱいものをただ甘く感じるようにするだけだと思っていましたが、糖分をとってはいけない人の精神的な支えとなるということが分かり、素晴らしいものだと感じました。これからこれらの開発がもっと進んで、病気の改善の手助けとなるものがもっとできるといいなと思う一方、それらに頼らなくて済むよう、味覚障害や糖尿病にならないように、日々の食習慣を見直し、必要であれば改善していくことの方が先決であると思いました。この講義を受けて、自分自身の食生活を見直すとともに、子どもたちにも食生活を見直したり、食習慣について考える機会を与えられるような教師になれるといいな、と思います。貴重なお話をありがとうございました。



Cさん 

 先日の講義を受けて、島村先生がおっしゃっていた、「味覚があるって当然のことだと思っていたでしょ?」ということについて再度考えさせられた。確かに講義を受けた上教大の仲間たちはみんな正常に味覚を感じていたし、逆に味覚が正常でなかったら先生の実験は成功しなかったはずである。講義でその「味覚」の感じ方についての詳しい知識が得られたとともに、味覚障害の話しも聞き、「味覚」のありがたさを感じた。「味覚」の話しに関して、特に幼い子どもが酸味や苦味を含む食品を拒絶する傾向にあるのは「体に悪影響を及ぼすかもしれない・・・」という自己防衛の拒否反応が起こっているというのがとても印象に残った。それと同時に、好き嫌いの話しと関連して、自分は幼いころから好き嫌いがなかったたが、それは(おそらく・・・)拒否反応が弱かったのではなく両親や家族と一緒に楽しく食事をしていたためなのではないかと考えた。今でいう少し古風な私の家族は、「一家そろっての食事」に強いこだわりを持っていたため、家族で様々な会話をしながら食事をしていた。そのために「親が食べているから大丈夫」や「みんなで楽しく食べる」といった記憶が強く好き嫌いがなかったのではないか、と考えた。
 また、ポテトチップスやファーストフードなどがおいしく感じる理由に、そのような食品の加工に人間が本能的に求める「油」が使われていることが挙げられるなどと言った話しも、なるほどと思う反面、気をつけなければならないと思った。「摂取しすぎたら毒」という知識と「脳が摂取したがる本能」が自分の頭の中で葛藤している気がして考えさせられた。ポカリスエットの例と併せて考えてみても、市場に出回る食品には奥の深い工夫がされていると知ったし、悪い言い方をすると脳をだまして消費を増やしているため、我々の「感覚」はぜったいではなく、注意が必要であると思った。
 講義で実際に実験を行った「ミラクルフルーツ」と「ギムネマ」の味覚修飾物質(植物)に関して、以前島田紳助さんがある番組でミラクルフルーツを扱っており、効果の説明を聞いた時はすっぱいものが甘くなるなんて正直信じられなかったのだが、その番組で島田さんがレモンを丸かじりしているのを観てミラクルフルーツを試してみたい、できることなら育てたい、と思っていた。しかし、入手先がわからずもう諦めていたので、今回実際に自分でミラクルフルーツを食べて実験ができるなんて夢のようだった。そして、その番組の中ではどうしてそうなるのかが大まかにしか説明されていなかったので、ミラクルフルーツの及ぼす効果がなぜそうなるのかが全く理解できていなかった。なので、今回の島村先生の講義での実験は元々自分の興味のあったものだったので楽しい実験だけではなくとても勉強になる実験になった。ギムネマの方は講義で初めて聞いたものだったのだが、ミラクルフルーツと逆の現象が起こるということですぐに興味がわいた。原理からすると、酸味成分と合体して甘味成分のような形になり甘味を感じる味蕾に感知されるようにするミラクルフルーツと、甘味を感じる味蕾をふさいで甘味を感じさせなくするギムネマは全く違う働きを引き起こすこの2つの味覚修飾植物であるが、何も考えずにただ「味覚」という点からみると正反対の作用を引き起こすとても面白いものだと思った。今回の実験に関係あるかどうかはわからないが、甘いものを食べた後にすっぱいものを食べるとより一層すっぱく感じる、という経験があるが、これに関しても味蕾が関係していることは間違いなさそうなので今後調べてみようと思った。
 なお、先生が最後に出題された「ミラクルフルーツとギムネマどっちが勝つ?」という問題を「味蕾をふさぐのだからギムネマの勝ち」と理論的に考えられたことで講義の内容を理解していると感じられてよかった。
 素晴らしい講義ありがとうございました。



Dさん 

 今回の講義で私は、「人にとってのおいしさ」の『@生理的欲求に基づくおいしさ』についてとても興味を持ちました。私は現在運動部に所属しています。運動していない時にはスポーツドリンクを飲みたいなんて思いもしないのに、部活の時にはいつもスポーツドリンクが飲みたくなります。またテスト期間中や受験期には、いつも以上にチョコレートを食べてしまいます。これにはしっかりとした根拠があったと知り驚きました。人間の体からある栄養素が不足すると、それを含む食べ物を「食べたい!」と欲求が出てくるなんて、当たり前かもしれないけれど、とても不思議だなぁと思いました。そのようなときは、スポーツドリンクやチョコレートなどは我慢せずに摂取してよいのだと分かりました。けれど、チョコレートの場合、美味しくてやめられなくなってしまい、体が必要とする以上に甘いものを摂取しまいます。これは薬理学的なおいしさによるものだと考えます。何日間も食事なしで生き延びなければならなかった時代、人間はカロリーの高いものを摂取して生き延びようとしていました。そのため人間にとって油分や脂肪分を多く含むものに美味しさを感じるのは当然のことです。しかし今の日本では、コンビニへ行けばなんでもいつでも食べたいものを手に入れることが出来ます。しかし食べたい時に食べたいものだけを食べていたら、体はボロボロになってしまうでしょう。
 そんな今、もっとも大切なのは一人ひとりの食に対する関心だと思います。近年、味覚障害が若者の間にあるそうです。しかし、味を感じられなくなるなんて想像もできませんでした。その感覚が分からなかったからです。けれど、島村先生の講義を受ければ、そんなことはもう言えなくなります。甘くておいしいキャンディーも、ギムネマを食べた後に食べるとそっけない味に変わってしまいます。それとは逆に、ミラクルフルーツのあとのレモンは信じられないくらい甘くて美味しいものでした。そして、それと同時に味わえることの喜びを感じました。もし味覚障害になれば、美味しさを感じることが出来ないだけでなく、毒のシグナルである苦味、痛んだもののシグナルである酸味も感じることが出来なくなってしまいます。味覚障害を防ぐこと、そのために味覚障害について知ることが今大切なのだと思います。加工食品やファーストフードに頼りすぎると発生しやすくなる味覚障害。節約の為だけでなく、自分の健康のためにも、自炊すること、バランスのとれた食事をすることを心がけていきたいです。
 島村先生の講義を受けて、味覚に関する様々な知識を得ることが出来ました。私が言える立場ではありませんが、今後も世界中に、味覚教育や味覚修飾植物を広めていってほしいと思いました。
 味覚修飾植物に関しては、今後医療現場などで大いに活躍していくと思います。さらに、いずれは給食センターなどでも活用されていくのではないかと考えます。栄養バランスやカロリーなどを考えて作られている献立ですが、ミラクルフルーツを利用することでよりカロリーを抑え、かつ栄養価の高い献立を作れるのではないかと思います。とても充実した講義をありがとうございました。



Eさん 

1.講義で感じたこと、わかったこと、興味をもったこと
 私がこの講義で新たに知ったこと、また興味を持ったことは、私たちは味を味蕾で感じている、ということです。私は以前、インターネットか何かのパンフレットのようなもので味覚地図を見たことがあり、舌の場所によって感じる味が違ってくるのだと思っていました。そのためあまり美味しくなさそうなものは奥の方で噛んで、舌に触る面積を少しでもへらそう!と努力していました。しかし味は舌全体だけでなく喉の付近にもあることを知り、その努力は味を感じることにはあまり関係がなかったことに気がつきました。また味蕾に関して、他の動物の場合ついても教えていただきました。私は「味を感じる」ということ=「食べる」ことだと勝手につなげて考えていました。しかし、他の動物は自分や自分の子どもの身を守るために、手段として「味を感じる」ことを身につけているのだ、ということを知りました。このことから、人間の赤ちゃんもまた、大人よりも多くの味蕾を持っているのだ、ということについて納得することができ、また人間が味を感じることが、私たちの生活の中でとても重要な役割を持っていることに気がつきました。

2.味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 味覚修飾植物について、糖尿病の方など糖分を思うようにとれない方にとっての治療になど、医学的な面でとても有効であることを知りました。私は、もっと子どもたちに味覚について、また食生活について考えてもらうために教育の場でも味覚修飾植物を使う機会が増えればと思います。普段自分たちが味を感じるということはどういうことなのか、また味を感じることができないということはどういうことなのか、子どもたちに実際に体験してもらうことで、少しでも自分の食生活をふりかえり、見直すきっかけになるのではないかと思います。味覚という食事に関する一部分のことから、食事のバランスを考えたり、また朝食を食べることの重要性に気づいたりと、食事全般の問題へと意識を向けさせることができるように思います。また、子どもたちだけでなく子どもたちの保護者にも一緒に体験してもらうことが必要であるように思えました。子どもたちの食生活に大きな影響を与える親自信にも体験してもらうことで、より子どもたちも意識しやすく、実践しやすいのではないかと思いました。

3.その他自分の意見・感想
 味を感じるということは毎日必ず起こることで、特に意識して考えることはありませんでした。また、味を感じないことがどういうことなのかも、経験したこともなくまったく考えたことがありませんでした。今回の講義で実際に体験してみるとことで、自分が今まで味を感じること、食生活にどれほど無関心だったのか、気づくことができました。また自分の味の好み等、普段考えないことについても、考える機会となりました。
 また、授業の進め方について、初めに味を感じない実験をし、最後にレモンを甘く感じさせて盛り上がって、帰らせる、という授業の展開の仕方が、とても勉強になりました。また授業の合間にプリントをめくらせたりと、少しずつ先生の工夫が埋め込まれていました。実際に自分でそれを経験してみると、本当に楽しく授業を終えられてすっきりしていたことに気がつきました。ただ何かを教えるだけでなく、子どもたちが楽しく、わかりやすく授業を受けられるよう構成することが大切であると実感しました。 

 最後に、質問になってしまうのですが、私は、他の講義(英文学の授業で、味覚教育とは関係のない授業です)で、次のような話を聞きました。「子どもの頃はまだ舌が純粋だから、甘いものや食べやすいものが好きなのだ。しかし大人になると甘いものだけではその刺激に満足せず、もっと苦いものや辛いものといった刺激を求めるようになるから、大人になると辛いものや苦いものを食べられるようになる。だから大人の舌はたくさんの刺激で麻痺している。辛さや苦さを必要としない子どもの舌の方が純粋で、おいしいものしか食べないんだ。」この話をきいたときはなるほど!と思ったのですが、今回の講義を聞いて、少し違和感が残りました。
大人になれば経験と知識によって苦いものや辛いものにも危険がないことを知るため、食べられる。
=大人になると甘いものだけではなく危険がない苦いものや辛いものも食べたくなる?
または、体の維持のために必要な栄養素を取り入れるために、危険がない苦いものや辛いものを食べたくなる?
と考えてみましたが、自分で納得いく形にまとまりませんでした。島村先生の講義を聞いた上では、英文学の先生がおっしゃっていたことがとても根拠のないものに感じられたのですが、大人と子どもの舌に、上に記述したような純粋さや刺激を求めることの違いはあるのでしょうか?よろしければご指導お願いいたします。



Fさん 

 私は今まで教師にはなりたいと思っていたが、食育についてあまり考えたことがありませんでした。食育と言えば、「好き嫌いしないで食べなさい」とか、「食べ終わるまで遊べないよ」とかの言葉かけでしかしていなかったように思います。しかし今回講義を受けて、人間が味を感じる仕組みや、幼い子どもがピーマンなどの苦い食べ物を好まない理由なども知ったので、食育が変わってくると思います。
 味蕾が鍵と鍵穴の関係にあるということを知って、味を感じる仕組みをすごく理解できたように感じました。甘味なら甘味の鍵と鍵穴、苦味なら苦味の鍵と鍵穴があることで、人間は味を感じたり、おいしいものなのかどうか確認したりすることができるが、ちょうちょなどは生き伸びるためにも味蕾を使っているのはすごいと思った。それぞれの生物の特徴に合ったところに味蕾があり、それをさまざまな目的で使っている、人間は「おいしい」と感じることができるなんて、贅沢な生物だなと改めて思いました。「おいしい」と感じることは動物もできますが、それは全て生きていくために役立つもの、生きるための食べ物がおいしいと感じるというのは少しかわいそうだと思ってしまいました。それと比較して、人にとっての味覚は「経験と学習」ということで、脳が発達している人間だからこその味覚であるということを知りました。
 私がこの講義で最も印象に残ったのは、人間の好き嫌いのメカニズム、ひとにとってのおいしさとは何かということです。好き嫌いがある人も生まれた時から好き嫌いがあるというわけではなくて、それは周りにいる大人のせいでもあるのかなと思いました。食事中に怒られていたのではおいしく感じないし、親に好き嫌いがあってあまり作らなかったり、食べた時にいい顔をしていなかったりしたら子どもはおいしいものではないというように感じてしまうと思います。子どもは想像以上に大人のことをよく見ていると思うので、親になってももちろん教師になっても気をつけなくてはならないと感じました。また逆に言えば、親や教師の努力や影響で子どもの好き嫌いを克服することができるということです。まずは親がおいしそうに食べること、また親がその食材をしっかり使った様々な料理を作るなどです。私も実際子どもの頃ウニが嫌いでしたが、親があまりにもおいしそうに食べているので食べることができるようになりたいと思い、食べているうちにどんどん好きになっていきました。そして今では好き嫌いはなくそれが私の大きな自信にもつながっていると思います。教師は料理を作ってあげることなどはできないけれど、教師が給食のときにおいしそうに食べるだけでも食育につながると思うし、外で食べるなど環境を整えるのもいいし、子どもが自分でクラスの仲間と共に調理をしてみるのも食べ物の好き嫌いを克服するのにはとても良いと思います。
 ギムネマ、ミラクルフルーツを食べて、食べ物それ本来の味を想像しながら食べてしまうと味が変わっていてとても驚きました。人には、この食べ物はこういう味だ、という認識がありその上で味覚が成り立っていると思うので、その認識を覆された気分になったのと同時に、味覚障害でなくてよかったなという気持ちになりました。改めて味覚障害の人の気持ちになってみると、味を感じることができないというのはとても悲しいことで、味覚を感じることができないと生きていて楽しいのかな、とも思い、味覚の大切さを再認識できた授業でした。
 それだけではなく、ギムネマやミラクルフルーツが糖尿病患者に使われているというのは素晴らしい発想だと思います。甘いものを制限されてしまう糖尿病患者は、好きなものを食べるなと言われているのだからやはり精神的に辛いものがあると思いますが、ミラクルフルーツのおかげで甘いものを食べたという満足感を得ることができるので、精神的にもまた体にも良いと思いました。また、実際にミラクルフルーツを食べたあとでレモンを食べるととてもおいしく感じられたので、クエン酸やビタミンの多く入ったレモンを食べる必要がある医療患者も、ミラクルフルーツのおかげでおいしく食べることができるという良い点があると思いました。ギムネマやミラクルフルーツは医療の現場でも使われているということで、これからも様々な活用方法でさらに今の世界のために発展していってほしいと思います。味覚の大切さ、食育の方法について学べたので、これからの未来の子どもに教育する身としてとても勉強になりました。ありがとうございました。



Gさん 

 島村先生の講義を通して、今までなんとなくしか知らなかった味を感じる仕組みを学ぶことができて、食材とその味の感じ方についての関心がとても深まりました。以前から舌全体で味を感じていることはテレビ等で知っていたのですが、乳頭の中に含まれる味らいが判別して、その数が味を感じる感度に影響していることは知らなかったのでとても衝撃でした。味らいの判別方法が鍵と鍵穴の関係(食べ物の成分が鍵、味らいが鍵穴)で、味にはそれぞれ専門の鍵穴が存在し、その鍵穴が埋まるとスイッチが入り電気信号として脳に伝えられる、という説明はとてもわかりやすくて、面白いなと感じました。この説明を聞いた瞬間に、私はすぐにソムリエやグルメな人たちを思い浮かべて、「この人たちには生まれつきたくさんの味らいがあるということか!」と思ったのですが、先生のお話によると、彼らは味らいが発達しているというよりは、脳の処理機能が高く、多くは訓練によって高められるということでした。ソムリエは天才だと思っていましたが、このことを聞いて彼らは努力の天才なのだということが分かりました。
 味蕾の数は動物の種類によって異なっており、それぞれの生活の特徴と大きく関わっていて、成人が6000〜9000個なのに対して、ナマズは200000個もあります。これは、ナマズは目が見えにくいので、味蕾で味を判断することで敵の存在に気付けるようにするためだそうです。これと同じように、人間の赤ちゃんは12000個の味蕾が存在し、これはまだ目が見えにくいうえに知識が少なく、何でも口に入れる習性があるので味らいで味を判断して食べても害がないかを判断しています。
 また、味蕾のある場所も動物によって様々で、人間が舌(7割)や上あご・喉(3割)にあるのに対して、ハエやチョウは手に味蕾があります。ハエが手をこすり合わせる行為は味蕾のお掃除をしているからなのだそうです。チョウに関しては、手に味蕾があることで、卵を産むときに産み付ける葉が無害かどうかを確かめるのに役立つのだそうです。味覚を感じるのは舌だと思い込んでいたので、人間の喉や上あご、ハエやチョウの手に味を感じる味蕾があるのはとても驚きでした。
 動物にとっての味覚は生き抜くためにとても重要な役割があり、コアラ(草食獣)は動きが鈍いうえに攻撃力もないが、毒をもつユーカリの葉を主食とするように進化したことで敵から身を守っています。ライオン(肉食獣)は植物を消化する能力がないため草食獣の小腸や肝臓、膵臓を食べることによって植物のエッセンスやビタミン・ミネラルを摂取しています。人間はというと、もともとジャングルで生活していたなごりがあり、酸味・苦味はそれぞれ腐敗物・熟していない果実のシグナル、毒物のシグナルであることから、これらに関する感度は比較的高くなっています。赤ちゃんのおもちゃをして使われるリカちゃん人形には赤ちゃんが誤って食べてしまわないように苦味成分が塗ってあるということはなるほど納得!!という感じでした。また、人間の味覚は基本味の5つ以外にも、えぐ味・辛味・渋味を感じますが、これらは味らいを刺激しているのではなく、神経を刺激して起こる感覚だったということはかなり意外で驚きました。
 授業の最初と終わりにギムネマとミラクルフルーツの実験をしましたが、ギムネマは味らいの甘みの鍵穴をふさいでしまうために、甘いものを食べても甘く感じなくなり、逆にミラクルフルーツは赤い実に含まれるミラクリンという糖たんぱく質が甘味の鍵穴にくっついてすっぱいものとだけ結びついて中に入り甘みとして刺激されることで、すっぱいものが甘く感じられるという不思議な食べ物でした。どちらも初めての体験だったのですが、思った以上に結果が出て、すごく感動しました!これらの味覚修飾植物は、近年急増して社会問題になっている糖尿病に苦しむ患者たちの生活習慣改善の一環としての応用が期待されているということでしたが、私たち大学生の多くは、忙しさや面倒くささゆえに、コンビニやファーストフード店で食事をすませがちで、かなり偏った食生活をしているため、糖尿病は他人ごとではないと強く感じました。なので、このような味覚修飾植物がもっと普及できれば、患者たちの苦しみも少なからず減るだろうし、あるいは、糖尿病の予防にもつながると思います。ぜひ今後の発展に期待したいです。
 この授業で味覚を感じるしくみやそのメカニズムについて学び、あらためて食について考え直すきっかけになりました。私自身、ファーストフードや加工食品をたくさん摂取しているので、これからは食生活をもっと見直そうと思いました。



Hさん 

 ミラクルフルーツとギムネマを今回の講義で初めて体験した。ギムネマは名前を聞いたこともなかったのでどのような効果があるのか分からなかったけれど、ミラクルフルーツについてはテレビで聞いたことがあった。ミラクルフルーツを食べた後はすっぱいものを甘く感じる、ということを芸能人が実際に食べて言っていても、テレビだからおおげさにリアクションをとっているだけであまり変わらないのではないかなとなんとなく思っていたところがあった。また、味が変わるように感じるのではなく舌が麻痺して味を感じづらくなるのだろうかと勝手に思っていた。この講義で自分がミラクルフルーツを体験して、やっとミラクルフルーツの効果を理解できた気がした。実際に自分が体験してみないと、知識を与えられてもそれが自分のものにならないと実感した。ミラクルフルーツのタブレットを食べた体験は記憶に残りやすい。その記憶とともに知識が頭の中に残ると思う。この味覚修飾植物について学ぶのには、実際に体験することがとても重要なのだと感じた。自分が授業を教える立場になった時にも、五感を使った体験を有効に取り入れることができるようになりたい。
 また、講義の中で“味蕾”に関しての話をされた時に、ミラクルフルーツのような普段目にすることのないものでなく、身近にあるもの・よく知られているものを題材にして、味覚について学習することができることを知った。味蕾の数について、人間の赤ん坊は成人のおよそ2倍で、ナマズは成人のおよそ30倍である。どうしてそのように差が大きくなるのか。人間の赤ん坊の行動とナマズの生息する場所を考えるとそれが分かる。
 人間の赤ん坊は目の前のものを何でも口の中に入れようとする。それはどうしてだろうか。という問いを子どもたちに投げかける。次のような流れが出てくる。
自分にとって害のあるものかどうか判断するための知識がない→目の前にあるものが毒であるかどうか判断するために口に入れてみて、酸味・苦味があるかを判断→(酸味・苦味がある場合)毒のあるものとして吐き出す赤ん坊は五感(味覚)を使って危険を回避しようとするのだということが子どもたちにもよく分かるのではないだろうか。
 ナマズについても、ナマズはどのような場所に住んでいるのか、と子どもたちに問いかける。
 水が濁った川に住んでいる
      ↓
 どうやってエサを探すのかな?また、どうやって敵がいるか知るのか分かるのかな?
      ↓
 人間なら手で探るけれどナマズにはない
      ↓
 口(味蕾)で察知する
ということが考えられるだろう。他にも、蝶の手に味蕾があるのは卵を産む時に葉に毒がないかチェックするためであることなど、動物はそれぞれの環境・特徴などに合うように味蕾のある場所が違うのだということが子どもたちに理解できると思う。



Iさん 

 今回の授業は、味覚という私たちとは切っても切り離せないような関係にありながらも、このような機会がなければ意識することはほとんどないかもしれない領域の授業であった。ギムネマやミラクルフルーツ等の働きにより、確かに変化した味。これほどにまで味覚というものは繊細なのかと驚いた。先生の言葉の内容も、普段は意識しないが大切なこと、本来ならば当たり前のことに気付かされることが多く、ハッとした。その中でも特に印象に残ったことを2つ書きたいと思う。
 1つ目は、子どもは親の顔を見て食べるということである。第一印象というものは、その人の印象を抱いたものに対するこれからの態度を大きく変えることがある。第一印象の善し悪しというものはもしかしたら一生引きずることになるかもしれない、大きなきっかけとなるかもしれない。それは、食の分野においてもいるという話が授業に出てきた。自分は小さなころからネギが嫌いである。いまだにその時の味の記憶があり、なかなか食べることができずよけて食べてしまうことが多い。そのような自分の体験と重ね合わせて確かにそうかもしれないと思った。
 第一印象というものは味の記憶だけによるものではないという。それを食べた環境が大きく関わる場合があるという話が出た時、正直良く分からなかった。しかし、その内容を聞いてみると決してそのようなことはなく、意識しなければ気付きにくい大切なことであった。例えば、食事の時間に親から叱られてとても怖い思いをしたとする。その時の記憶が食事を通じて思い出されるというのである。食事をすることで私たちはとても幸せな気持ちになる。それは毎日の生活において、決して欠いてはいけないことだろう。怒られたことでそれを損なったとしたら、そのショックは決して小さいものではないはずだ。
 食事とは心がホッとする大切な時間の一つであり、それが人の内面に与える影響は無視できないのだと感じた。食事に必要なのは優しい空間であり、それはふとした笑顔一つでも作れるかもしれないことなのである。
 2つ目は、味覚修飾植物の応用の今後の展望である。肥満という社会問題や糖尿病患者に対する安全で低カロリーである甘味の開発は、これから向き合っていかなければならない重要なことだとプリントにある。味覚が様々な問題を考える上で、一つの見解となるのだということ証明であるように思う。 味覚は人にとって、動物にとって重要な感覚の一つであることを意識して、それを大切にすることについて考えるきっかけとなった授業であった。日々の食事に関しての意識も亜鉛の摂取を忘れない等、変えていきたいと思う。




■C・Dクラス

Aさん 

 今回の講義で,味覚について新たな知識をいくつも得ることができました。例えば,動物の味覚に関することです。コアラは有毒性のあるユーカリの葉を主食とすることで身を守り,ライオンは植物のエッセンス,ビタミンやミネラルという順序で獲物を食べる,というように,自然界で生きるため理にかなった食生活を送っているということです。動物にとって食事というのは生きるための活動なのです。
 対して人間の食事はどうかとみると,もちろん生きていくために必要なことには変わりありません。しかし戦時中などに比べると飽食状態であり,食事は娯楽の1つになりつつある気がします。そのために糖尿病や高血圧,肥満といった生活習慣病が増加したのではないでしょうか。家族団欒,友人との食事など,食べるという行為を楽しむことは大切なことです。ただ,その内容について食事のもともとの意義を踏まえた食生活を送らねばいけないと思いました。
 以前ある番組で,幼児期の食生活は後々の好き嫌いに関係するので,幼少からファストフードなどの油の多いものを食べていると,成人になっても油の多いものを好んで食べるようになり,肥満になりやすい体質になると紹介していました。そのときは半信半疑でしたが,人間は赤ちゃんのときに味を判別する味蕾が最も多く,味覚に関して敏感であるということを知り,なるほどと思いました。私たちは,残念ながらファストフードなどを好んで食べているのが現状だと思います。週末の昼食の時間に某ファストフード店を覗いてみると,親子連れでごった返しています。子どもたちが笑顔でフライドポテトを頬張っている姿が印象的でした。その姿とは対照的に私は暗い気持ちになりました。まだ小学校にも入学していないであろう子どもたち。この子たちは味覚障害になる危険性を高めているのに,楽しそうに笑顔で食事しています。また,この先味覚障害になってしまったとき,その原因が自分たちの親であるという事実を知るのだろうかと考えたからです。私たち人間は,生まれてから死ぬまで「食」と関わっていきます。大半の人たちは,健康的に暮らしたい,おいしいものを食べたいと考えると思います。私たちが親となったときに,何も知らず子どもたちにこうした食生活を押しつけてしまうことで,子どもの一生の「食」に影響を与えるのだと思うと,恐ろしくなります。
 私は,今講義を終えて,知識がないことの怖さを知りました。また,島村先生の高校時代から疑問に思ったことについてとことん調べるという姿を見て,私たちは「食」に限らず,あらゆることについて知ろうとする姿勢がもっと必要だと感じました。
 最後に,その存在を知りながらも出会う機会のなかったミラクルフルーツを経験させていただきありがとうございました。



Bさん 

1、講義で感じたこと、分かったこと、興味を持ったこと

 最初、味覚と聞いて思い浮かべたのが、小学校や中学校でならった味覚地図だった。しかし、味覚地図は間違いだというのがすごく印象的だった。でも、今になって考えてみれば、もし味覚地図でいうところの、甘味を感じる部分だけを、覆うか何かして、感じなくして、甘いものを食べたとして、はたして甘いと感じなくなるのかということに対して疑問が残る。これからは、味は舌全体で感じているのだ、ということをしっかりと覚えておこうと思った。
 また、味蕾での味の判別方法は、鍵と鍵穴の関係に例えられるというところが、すごくわかりやすいと思った。それをさらに、絵や図で視覚的に表すことによって、短い説明でも、子どもであっても、すぐ理解できると感じた。
 あと、各動物にある味蕾の場所や、数にもちゃんとした意味があるんだなということが分かった。ハエは手にあるからいつも手をこするしぐさをするとか、チョウチョは足にあって、卵を産むとき、その卵を植え付ける葉っぱに毒がないか確かめるためなど、ちゃんと理由があって面白かった。
 好き嫌いのメカニズムも印象的だった。まず、メカニズムの3つの要素である、1第一印象2雰囲気 3経験というのも自分の中で当てはまる部分もあった。自分は、好き嫌いはないといってもいいが、1つだけあるのが、中華料理によくでてくるザーサイという食べ物だ。なんで、嫌いになったのかというと、最初に食べたのが給食で出てきたもので、こういうのはあまりよくないと思われるが、その給食のザーサイがとてもまずくて、それ以来、今に至るまで食べていない。本当は、ちゃんとした中華料理のザーサイはおいしいものなのかもしれないが、既に、ザーサイはまずいといのがインプットされてしまっているので、次に食べる気にもなれず、こればかりはどうしようもないと思う。これは、メカニズムでいうところの第一印象であろう。また、その給食に出たのが、小学校低学年くらいだったというのも大きな原因の一つだと思う。やはり、子どものころの味覚の形成というのは重要なのだなと痛感した。
 個人的には、レモンのすっぱさの主成分はクエン酸で、ビタミンCのすっぱさではないという事実が結構衝撃的だった。それに加えて、今まで生きてきた中でそれをゆるぎない事実として信じてきていたので、若干ショックでもあった。でも、これからは逆に間違って覚えてしまっている人に教えてあげようと思った。
 あと、別腹というのが存在するのが人間とサルだけで、他の動物は、太ると逃げ足が遅くなるから無駄に食べることはしない、というのにはかなり納得できた。また、動物に関連して、コアラは、ユーカリの毒を分解するために、1日のほとんどを寝て費やすことや、ライオンは、自分で植物を食べて栄養をとることはできないので、他の草食動物の小腸を体に取り入れることによってそれを補っているというのも面白かった。

2、味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性

 今後の展開として、甘いものが好きだけれども制限しなければいけない人(肥満ぎみな人など)に対して、ギムネマを適用することによって、甘いものの摂取を控えさせたり、ミラクルフルーツを適用することによって、甘いものを食べるという欲求を満たしながら、糖分の摂取を抑えるといったような、活用の仕方が出来ると考えられる。
 また、授業の資料にもあるように逆に、甘いものをとりたくても取れない人(糖尿病患者)などに対してもミラクルフルーツが活躍していく思う。
 あと、この方法は、おかしを食べる欲求を大人に比べて抑えにくい子どもたちにも有効だと思う。例えば、ギムネマを利用したドリンクがあって、それを学校から帰ってきてから夕食までの間に飲めば、間食による、不十分な夕食などを防げると考えられる。
 味覚について知ることの重要性に関しては、味覚の感じ方の違いによって、自分のとるべき栄養素が分かったり、また、味覚障害のことについても知ることができるので、単に味覚といっても、そこから、いろいろなところにつなげていけるところがいいと思う。



Cさん 

 毎年上越教育大の先輩がこの講義を受けたあと、売店ですっぱそうなものを買ったり、炭酸飲料を買ったりして、味覚の変化を楽しんでいる様子を見てきたので、自分も3年生になればこのような体験が出来るのか!と今回の講義をとても楽しみにしていました。ギムネマもミラクルフルーツもこのような講義がない限り、口にすることのない食べ物のように思うので、とても貴重な体験をさせていただきました。
 まず、ギムネマの葉っぱは本当にミルキーの味がなくなったのでびっくりしました。最初何もせずに食べた時は普段通り甘いミルキーだったのに、ギムネマの葉っぱをこすりつけるだけでミルキーの味がまったくしなくなって…自分の舌で食べたものの、味を感じないことが初めての体験だったので、とても不思議な気持ちになりました。ミラクルフルーツのタブレットを食べるまでは、正直そんなに言うほど味が変わるとは思ってなかったのですが、あんなに酸っぱかったレモンが甘く、ミカンのように感じました。あれなら、レモン何個でも食べられそうな気がしました。
 こんなに簡単に味覚障害の擬似体験が出来るということにも驚きましたが、味覚障害になってしまうと何を食べても、こんな風に味が感じられなくなってしまうのかと思い、怖くなりました。私は大学生になってから、コンビニのお弁当を食べたり、お菓子をたくさん食べたりとすることが多くなりました。そういったものには、食品添加物が多く含まれていると思うので、私が味覚障害になってしまう可能性もないとは言えません。あんな風に味が感じることができないと、食べることの喜びや楽しみも感じなくなってしまうのだと思います。それはとても悲しいことなので、少し食生活を見直さなければいけないなと考えさせられました。でも私は、コンビニのものと同じくらい、日本茶や海藻、そばなど亜鉛が多く含まれる食べ物もよく食べるので、その食習慣は大切にしたいです。
 またこのミラクルフルーツを活用して、糖分がないのに甘く感じられるケーキが作られ、満足感を得ることができると糖尿病や、肥満の人向けのものが開発がされているということに感動しました。平成9年の糖尿病実態調査によると、「糖尿病が強く疑われる人」の690万人と「糖尿病の可能性を否定できない人」の680万人を合わせ、日本全国に1,370万人の糖尿病の人がいると推定されているそうです。糖尿病を放っておくと死にいたる可能性もあるので、そんな人たちを救うためにもこの開発は今後、もっと広めていってほしいなと思いました。
 講義の中で、食べ物の成分が鍵で、味蕾が鍵穴であるというとても分かりやすいお話が出てきて、味の判別についての仕組みがとてもよくわかりました。私も何回か間違った味覚地図を見たことがあって、味を感じることってこんなに単純なことじゃないよなと思っていたので、今回のお話を聞き、今までの疑問がなくなりすっきりしました。
 蝶は卵を産む葉に毒がないか判断するために手に味蕾があるという話や、蛇や鶏は丸呑みするため味蕾が少ないというお話はとても面白く、興味があります!人間も赤ちゃんのうちは味蕾が多いなど、生物って経験や環境が適応しうまくできているなと思いました。もっとたくさんの動物の特殊な味蕾の話も知りたいです。
 赤ちゃんが親のおいしそうに食べる顔を見て、味を判断するという話もとても興味深かったです。私は食べる人の顔を見るのが好きで、いっぱい食べる人を見ているとそれだけでおなかいっぱいになるので、それに似ているかなと思いました。自分が親になったら、絶対においしいおいしい言いながらたべようと思いました。
 このように、興味深く、たのしいお話をしてくださり、本当にありがとうございました。また、私は大学で家庭科を専攻しているので、食育なども大変興味があります。機会があったら、ぜひお話を聞きたいです。



Dさん 

1.講義で感じたこと、分かったこと、興味をもったこと
 島村先生の講義を通して、味を感じるしくみや、人と動物の味覚の感じ方の違い、味覚障害について、味覚装飾植物についてなど、今まで知らなかった多くのことを知ることができた。また、味蕾は舌全体に7割・上あごに3割存在することや、ステーキ屋さんでステーキが鉄板のままジュージュー音を立てながら出てくる理由、リカちゃん人形が苦い理由など、多くの興味ある内容の講義を受けることができ、もっとこのような豆知識を聞きたいと思った。豆知識を持っていることは、子どもの気持ちをグッと授業に引き付ける技でもあると思うし、もっと知りたいと思わせられるような豆知識をこの大学生活でどんどん身につけていきたいと思った。味蕾という名前は聞いたことがあったが、味蕾の構造や役割まではあまり知らなかったので、今回の講義で学ぶことができてよかった。その説明も、鍵と鍵穴の関係などで行ってくださったため分かりやすかったし、将来教師になって子どもたちに教えるときも伝えやすい説明の方法だと思った。また、実際にギムネマやミラクルフルーツを使用した体験をしてみて率直に驚いたし、子どもたちはもっと喜びそうだなと思った。この体験によって味覚障害のことも身近な問題としてとらえることができたし、将来教師・親になった時にはしっかりと考え、食生活など気をつけていきたいと思った。

2.味覚装飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 味覚装飾植物の今後の発展としては授業でも学んだように、糖尿病患者に糖分を取らずに甘味を感じさせることができるとして有効に活用できると考える。また、特に将来教師を目指す私たちにとって、味覚について知ることは子どもたちの健康について改めて考える良いきっかけとなったし、親になった時に自分の食生活がわが子に及ぼす影響についても考えることができた。教師を目指す私たちのみではなく、全国の親たちにもこのことを知ってもらい、それぞれが意識を高めていくことで味覚障害は少しずつ減っていくのではないかと思った。

3.その他自分の意見・感想
 ミラクルフルーツを教材とした授業は過去に一度受けたことがあったが(中学生の頃)、ミラクルフルーツを食べると味覚が変わるということしか記憶になかった。今回の島村先生の授業は、興味深い内容ばかりでもっと知りたいと思ったし、この講義で学んだことは忘れられないと思う。そしてこの講義のみで終わるのではなく自分の中で問題意識として生まれたもの(味覚障害と親の食生活の関係など)をさらに追求し、今後の課題としてさらに知識を身につけていきたいと思った。全国的に有名な素晴らしい先生の講義を受け、本当に貴重な体験をすることができた。この講義で学んだ多くのことを無駄にせず、これからの生活に活かしていきたい。



Eさん 

 本講義を聞き、自分が普段感じていた味覚のしくみが分かり、とても不思議な気持ちになった。食べ物を食べたときに、自分の舌の上では色々な働きが起こっているのだなと思った。私は辛い食べ物が好きで、どんなに辛いものでも食べることができ、また好き嫌いがほとんどなく、嫌いなもの(少し変わっているものも含めて)でも軽く食べてしまうので、よく人から「味覚がおかしい」とか「鈍感」などと言われていた。今回の講義で、舌にある「味蕾」で味を感じているということを知り、さらに味蕾の数は味の感じ方の敏感さとは関係がないということであったので、自分の舌が他の人と違うわけではないということが分かった。実際に私も、人の味の感じ方や好き嫌いはその人の舌によって決まっているものだとばかり思っていたので、少し意外であった。人間が食べ物をおいしいと感じるのには、様々な原因があり、それはその人の持っている経験や情報によるものが大きいと知り、とても驚いた。頭の中の考え方を変えたり、本人が直そうと思ったりすることで好き嫌いも変えることが可能である、つまり味覚は変化するということなので、「大人になると味覚が変わる」というのはこういうことなのかなと思った。私はよく自分の感覚だけで、人の好き嫌いを批判してしまうことがあったが、それはよくないことだったのかもしれないと感じた。また、子どもの頃の味覚の形成が大人になってからも大きな影響を与えているというお話から、親が自分の子どもにどのようなものを食べさせて育てるかというのはとても重要なことなのだなと実感した。亜鉛不足による味覚障害も若者の間で増加しているということなので、自分や他の誰かの食事を考える際には、栄養のことはもちろんだが、味覚のことも少しだけ考えられるようにしたいと思った。加工食品やファーストフードは栄養バランス的によくないという認識はもちろんあったが、味覚障害を起こす原因でもあるということを新たに学ぶことができた。
 今回、ギムネマとミラクルフルーツというものを初めて知り、実際に食べて貴重な体験をさせていただいた。もちろんとても驚いたし不思議だと思ったが、最初は正直、「確かに面白いけれどこれに何の意味があるんだ」という感想だった。しかし島村先生のお話から、ミラクルフルーツが糖尿病の治療に役立つということを知り、なるほどと思った。ミラクルフルーツもギムネマも、一見ただの不思議な食べ物だが、見方を変えたり少し考えてみたりするととても役立つ、有効なものになり得るということが分かった。今後もますます研究が進み、是非ミラクルフルーツが糖尿病治療に活用されてほしいと思った。また、ギムネマとミラクルフルーツの他にも舌にいたずらをすることで、身体に害を与えずに味覚を変化させる(錯覚させる)ことのできる食べ物があるとしたら、ミラクルフルーツのように何かとても役立つものになるかもしれない。味覚について研究するということの面白さや奥の深さ、それを有効に活用することができたときの喜びをたくさん知ることができてとても興味深い講演だった。



Fさん 

1.講義で感じたこと、わかったこと、興味をもったこと
 講義で島村先生のお話を聞き、ナツメとケンポナシを除いた味覚修飾植物が熱帯産の植物であることを知った。現地の人は昔から味覚修飾植物の効果を知っていたのか、どんなふうに利用してきたのかなど、味覚修飾植物が発見されて研究されてきた歴史に興味がわいた。日本である民間療法などのように、現地の人が代々植物の知識を受け継いできていたのかなど、味覚修飾植物のこれまでの現地の人々の利用方法が知りたいと思った。

2.味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 食育という言葉がよく使われるが、食事の重要さを見直して考えていくとともに、味覚について知ることも食育なのではないかと考えた。おいしいと感じてこそ食事を楽しむことができるが、その「おいしい」と感じることができるのは当たり前のことではなく、味覚がきちんと働いていているおかげだということを知らない子どもが多いのではないかと思う。私も普段の生活の中でそのことを意識していなかったので、今回の講義の中で味を感じる仕組みについてお話を聞き、改めて味を感じることができてよかったと思った。また、講義の中で味覚障害が亜鉛の不足によるもので、加工食品やファストフードばかり食べていると発生しやすいことをお聞きした。味覚について知ることで、味を感じておいしいと思いながら食事をするために、日ごろから食事のバランスに気を配らなければならないことに気づき、それが自分の食生活を見直すことにつながり、食育になっていくのではないかと思う。
 味覚修飾植物が今後もっと身近なものになれば、食育の授業の中で使い、味覚を感じるということを考えていくきっかけになるよい教材になると思う。子どもたちは食べるだけで味の感じ方が変わってしまう味覚植物の不思議さやおもしろさから、味を感じる仕組みに興味を持ったり、自分でもさまざまな食品の味の変化を試したくなったりするのではないだろうか。

3.その他自分の意見・感想
 講義を受けていて、先生が授業の組み立てに関して細かいところまで配慮し、工夫をしているということを感じた。レイアウト上の都合もあるが、プリントにある図をめくらなければ見えないようにして、ただ眺めていて集中力が欠けていってしまうのを防いだり、おいしいと感じながら講義を終われるようにギムネマの実験を初めに、最後にミラクルフルーツの実験をしたり、と授業を受ける学生の立場にたった心配りをしたりしているとおっしゃっていたことが印象的だった。これらのことは直接今回の講義の内容には関係ないが、より授業がよくなるような工夫をすることが授業をするときに教師に必要だということをあらためて感じた。



Gさん 

 今回の講義を受けるにあたって、ミラクルフルーツやギムネマという言葉自体初めて聞いた言葉だったので、はじめは、今日は何をするのだろう?味覚教育って何だろう?と疑問ばかりだった。実際に講義を受けてみて、まず驚いたのは全員分のギムネマやタブレットなどが用意されていることであった。大学の講義や高校以前に受けた講義の中にも体験的な学習によって知識を得る形式の講義はあったが、ほとんどが何名かの代表者が前に出て体験し、他の生徒はその反応を見ることによってしか判断することができないということが多かった。体験学習の良さは、机上の勉強や文字だけの資料の視覚だけの刺激よりも、視覚、触覚など様々な感覚器官への刺激が伴うことでより印象に残る、つまりより知識として残りやすいということが利点であるのに、数人のみの体験では、その数人にしか体験学習の効果がないと感じていたため、今回の全員体験型の講義は素晴らしいと思った。
 講義では、味覚障害の事が説明されていたが、私自身聞いたことはあったが自分には関係ないことだろうと感じていた。しかしなぜ味覚障害になるのかというのを学んで、誰でもなる可能性があるのだということ、また自身の食生活を振り返ってみるとファストフードで済ませることも少ないことなどを考えると、一気に身近な問題に感じた。私自身そうであったように、味覚障害は重大な問題であるのに、それに関する知識がないがゆえに、味覚障害に対する危機感を感じていない学生が多く存在すると思う。このような講義を受けることは、味覚障害を身近な問題と感じることができる貴重な機会であると今回感じた。また、ギムネマによって甘味のない状態を体験することで、このような状態には絶対になりたくないと感じ、普段の食生活から改善していこうと感じることができた。先生から「味覚障害になると大変だから、普段の食生活から意識しなさい」と言われても実感がわかずなかなか実行に移すことはできないであろう。しかし実際に体験することによって、自ら意識し改善しようと感じることができた。またミラクルフルーツについて学び、現代問題となっている糖尿病に対して、きついリハビリなどではなく、甘味を感じながら生活習慣を改善できるという患者の立場に立った研究が行われていることがすばらしいと感じた。しかしやはり感じるのは、このような研究がなされなくても済むように、現存する病気を予防する、また新たな生活習慣病を生み出さないよう食に関する認識を深めることが大切なのだと感じた。子どもたちに正しい知識を与えられるように、また自分自身や将来の自分の家族のためにも、今回の講義で学んだことをさらに深めていきたいと感じた。
 全体の感想として、普段の授業なら寝ている学生がかなりいるのに(国立大学として恥ずべきことですが…)、今回は熱中して聞いている学生ばかりで驚いた。面白い話ばかりで、島村先生の講義の進め方や話し方など、将来教職を志す者として参考にしたいと感じる部分がたくさんあり、そういった面でも為になる講義だった。引っ込み思案な生徒が名乗り出ることができず毎回同じ生徒が体験するような一部体験型の授業ではなく、全体体験型のこの講義を、これからも多くの学校で実践していただきたいと感じた。



Hさん 

 今回は味覚についてということで非常に実践的な授業内容でしたが、とても為になる内容だったと思います。ギムネマ・ミラクルフルーツといったものの存在は初めて知りました。味覚というのは、物心つく前から感じている感覚の一つだと思います。以前に授業で、幼児期に飲食した味に関する嗜好はその後も無意識領域で記憶され、影響を及ぼすといったような内容を勉強しました。また人間の三大欲求の一つに食欲という種類があるという以上、食、そして味覚とは人間の最も重要で原始的な要素の一つだと考えられます。味蕾という器官が味を感じているものだということはこれまでの家庭の食科学の授業で習い知ってはいましたが、それをあえて封じることによって今一度その重要性を再確認することができました。その不思議を実感するだけではなく、この講義によって早期における味覚障害の危険性も発見することもでき、知識的・身体的の両側面に意味をなすものだったことがわかります。もし実体験を伴ったものではなく、単にギムネマとミラクルフルーツの効用を座学としてのみ学んだのであれば、今回のような興味・関心はなかったことだと思います。改めて授業構成の重要さというものを実感しました。講義中に、学生時代の若い時からミラクルフルーツ等に興味を持ち研究を始めたとおっしゃられていましたが、一つのものを長く追い続けられるということはとても素晴らしいことだと思いました。教師というのは、大学の教授でもない限り、特に小学校の教師というものは他分野を子供に教える必要があるため、一つ一つの分野の知識はある程度浅くなってしまうのではないかというのが今の僕の見解です。もちろんそれは違うと否定されることもあるでしょうが、少なくとも今の自分についてはそう感じています。だからこそ、追究という姿勢が非常に素敵だと感じました。生き方やその深みといった点でも、いろいろと考えることができたと思います。将来的に自分は家庭分野の教師になる予定ですが、今回の授業を参考にし、児童に食、ひいては家庭に興味を持っていもらえるように頑張っていきたいと思います。



Iさん 

 今回「味覚教育」ということで島村先生の講義を受け、はじめは味覚教育の重要性があまりよく分かりませんでした。机の上にレモンやお菓子、葉っぱが置いてあって、面白そうだなという興味本位でしか、先生の授業を聞いていませんでした。しかし、この授業を受けて味覚教育の大切さを再確認しました。私は、味を識別するための味覚地図のような構造が舌にはあると考えていました。それは小学校で一度、先生から聞かされたのを覚えています。それが今回、間違った認識だということがわかりました。恥ずかしながら、「味蕾」という言葉を今回の授業で初めて耳にしました。想像として、人間はいろいろなものを食べるので、動物界の中では特に多いのだろうなと考えていたのが、なんと人間よりもうさぎ、うさぎよりも牛、牛よりもナマズと魚類にまで味蕾の数が劣っていてとても驚きました。それだけ、人間の持つ味覚があまり機能していないということになります。赤ん坊の頃は、味蕾の数が多く、その理由として酸味や苦味といった腐敗物・毒物のシグナルを味覚で判断していたということが分かりました。20歳となった今では、知識も増え、どれが食べてはいけないものか、食べられるものかだいたい判断できます。また、資料では赤ん坊の頃と成人になった今との味蕾の数を比較していますが、きっと縄文時代くらい昔の人間と今の人間の味蕾の数を比較するともっと面白いことが分かるのかなと思いました。そして、今回の授業で「ギムネマ」という言葉をこれまた初めて耳にして、初めて口にした訳ですが、資料にもある通り一種の味覚障害という貴重な体験できて大変良かったです。味覚障害という言葉は、少し前からよく若者の間で流行っている病気ということで、聞いたことはありました。しかし、私は別に大して問題ではないだろうと思っていました。味覚が人より少し違うからといって、周りの人に迷惑をかけるわけではないし、なにより味覚障害といっても少し人より甘く感じたり、苦く感じたり、味の好みが変わるだけだろうと思っていました。しかし、味覚が正常ではないということは、本来味覚で察知しなくてはならない、腐敗物や毒物のシグナルを見落としてしまうということになります。いくら知識がつくとはいえ、味覚も大事な身を守る手段だということがよく分かりました。この味覚障害にかからないためには、子どもの頃の味覚の形成が大事ということなので、自分が母親になった時、教師になった時には、スナック菓子や添加物を多く含んだものばかり食べさせるのではなく、畑でといれた野菜や手作りのお菓子など、健康的で味覚だけでなく、視覚、触覚をともに使った食事というものを心掛けたいなと感じました。今回の授業では、新しいことの発見と驚きの連続でとても面白かったし、何よりも自分自身が体験することでの気づきがたくさんあり、とても充実した時間をおくることができました。自分も教師になった時、このような自分で実感できる授業というものを目指していきたいと考えています。上越教育大学へ来てこのような素晴らしい授業をして頂き、本当にありがとうございました。




■大学院

Aさん 

・味覚障害の疑似体験を通して
 ミラクルフルーツとギムネマの名前や効果はメディアを通じて事前に聞いたことはありましたが、実際に味覚体験をしたことはなかったので本講義はとても楽しみでした。今回の体験を通して、人は100%○○味をおいしいとは感じないことを実感しました。ミラクルフルーツをなめた後にレモンジュースを飲んだらとても甘くてまずかったです。これは通常、酸味と甘味そしてうま味がバランスよく存在するレモンジュースが、ミラクルフルーツによって酸味が甘味刺激に変化しバランスが崩れたためでしょう。このことから、人は5つの味覚のうちひとつでも障害が生じれば、本来のおいしさを感じ取ることができないと感じました。今回の味覚を失うという疑似体験は、現在問題になっている『食育』にとって、はずせない体験だと思いました。加えて、おいしさは五感で感じるものということで、普段経験しない食べ方(耳栓、鼻栓、目隠しをした状態)を体験させることも味について深く考えさせるために必要だと思いました。私は本講義で感じたことを忘れずに、教師になったときに児童・生徒に「おいしい」や「まずい」と感じられることの幸福と重要性について教えていきます。

・『経験と学習』による味覚
 講義後、“人間にとっての味覚とは『経験と学習』である。”という島村先生の言葉が心に残ったの  で、これについて考えた。講義の中で島村先生は好き嫌いのメカニズムのひとつとして『経験.』をあげていたが、当然実際に食べることを意味する。『学習』については詳しく述べていなかったが、『学習』は実際に食べることに加えて、人づてに聞いて味を想像し記憶に蓄積することだろう。ここにおける想像は実際に食した味に基づいていることはいうまでもない。蓄積という言葉が示すとおり、人間の味覚は成長するにつれて変化し、「おいしい」・「まずい」の項目は増加していく。さらに、実際に食べたものの記憶は消えにくい。これは味覚がほかの感覚に比べて原始的であることに由来するのだろう。消えにくいからこそ家庭の味は成長しても深く体に根付いており、味付けの好みに反映するのである。このように味覚が『経験と学習』に依存していることの顕著な例に次のようなものがあげられる。視覚を失った状態においては、カエルの丸焼きは鶏の丸焼きと感じ、味付けこんにゃくをステーキと間違ったりすることがある。これは脳が『経験と学習』に基づいた情報を補完して現在の味覚と結び付けているためである。このことをうまく使った例が、人参嫌い克服のための人参ゼリーやカロリーを抑えるためのおからハンバーグなどである。このような例はメディアでよく報道されており、知っている人は多い。しかし、味覚と結びつけ、かつ内容を深く考える人はまずいないだろう。私もこのような機会がなければしなかった。しかし、教育者・養育者は皆深く考えるべきである。現在の子どもの問題には食生活を正せば解決できるものが多々存在する。問題を解決するためにも教育者が食・味覚について十分理解し、保護者と連携して『食育』を進めるべきである。

・感謝
 今回の島村先生の講義を聴くことで、『食育』について深く考えることができました。また、教師を目指す者として、試食を全員にさせるなどの、学習者のモチベーションを考えた講義は自分がこれから授業を組み立てる上でとても参考になりました。楽しい90分をありがとうございました。



Bさん 

 驚きの味覚体験〜ミラクルフルーツとギムネマ〜(植物を通じて味覚のしくみを理解する)の講義を受け、初めて知った事が3つあります。
 1つ目は、味を感じるには食べ物が唾液と混じり水溶液になることが必要だということです。私はこれまで味覚を感じるのは、講義資料の【図3 味覚地図】の各箇所に食べ物が触れる事によって味覚を感じるものだと思っていました。今日の講義から乳頭、味蕾の存在を知り、味の判別方法が鍵と鍵穴の関係に例える事ができることに衝撃を受け、今までの自分の考え方が180度覆させられました。この事を踏まえると、舌というのは味覚を感じる上で非常に大切な役割を果たしており、味覚から食を楽しむという上でも舌は重要な役割を果たしていると思いました。私はよく歯磨きの時に、舌も同時に磨いているのですが、時々、力を入れすぎて舌を傷付けてしまう事が多々あります。舌が食事の味覚において重要な役割を果たしているのですから、舌への配慮をしっかりしたいと思います。そして、味覚の間違った認識を捨て去り、正しい知識で食事の味覚について考えたいと思いました。
 2つ目は、好き嫌いのメカニズムについてです。私は食べ物の好き嫌いは、単に食べ物の味や見た目によるものだけだと思っていましたが、食事中の雰囲気や経験によっても好き嫌いが起きるということを初めて知りました。これを踏まえ、食育を考えた時、単に規則正しい食事をする事や、食事のバランスを考える事ばかりに重点を置きがちですが、食育の根底にくるものは、家族が揃って楽しく食事をする事だと思いました。子どもの味覚の形成が9〜12歳というのであれば、食事の楽しさを教え、味に偏りのない、しっかりとした食事をさせる事が大切だと思います。近年、ファストフードや加工食品がどんどん普及し、誰もが簡単に食べ物を食べる事ができるようになりました。手軽に済ませる事ができる反面、手料理の作る機会が減少し、家庭の味がわからないという子どもも増えてきているのではないでしょうか。私も時々、ファストフードを食べる事があるのですが、これが味覚障害を引き起こす原因に繋がるというのであれば、考え直さないといけないと思います。また、家族が夜遅くまで働いたり、夜勤であったりすると、孤食になったり、どうしても早食いになったりして、食事を楽しむという事をしなくなってしまいます。世の中が便利になるに連れて、考え直さないといけない課題が数多くあると思いました。
 3つ目は、ミラクルフルーツやギムネマのような味覚を変えてしまう植物がこの世に存在したという事です。実際、講義中に2つの植物を食べ、飴やレモンを口に入れたのですが、魔法が掛けられたかのように味覚が変化しました。子どもの頃、『○○と□□の食べ物を同時に食べると△△の味がする』という事が一時期流行し、色々と組み合わせて見たのを覚えています。それとは違い、味覚自体を変え、さらに、医療現場で活用しているという事に関心を抱きました。同時に、ミラクルフルーツやギムネマのような植物を味覚修飾植物と呼ぶようですが、ここまで研究が進んでいる事に大変驚きました。
 味覚修飾植物は、現在、糖尿病患者のような医療現場で活用されていると聞きました。低カロリーで安全な甘味剤が求められる今、味覚修飾物質は、課題はあるにしても、大変大きな役割を果たすと私は思います。実際は甘くないけれど、食べると甘く感じるという味覚修飾植物の働きは、人の甘いものを食べたいという欲求を満たし、当然の事ながら満足感を与えると思います。糖尿病患者にどのような効果をもたらし、食生活や症状がどのように変化したのかを注目しながら、味覚修飾植物の今後の活躍に期待したいです。
 また、メタボリックシンドロームが社会問題となっており、若年層ではダイエットもブームとなっています。医療現場だけでなく、日常的にも利用できれば、まさに社会的ニーズに合った活用ができるのではないかと思います。しかし、メタボリックシンドロームは結局、過度な飲食に加え、不規則な時間での食事、不規則な睡眠時間、運動不足が原因となり起こるものであり、ダイエットは、ダイエットをしたいと思う人自身が、余計な体重があると認識しているから行うものです。食事にしても、近年、味の濃いものを好む傾向にあり、薄味の食事は減ったような気がします。普段から味に偏らない、適切な量の食事をしていれば、摂取カロリーが消費カロリーを上回る事はそれほどないはずです。いかに味覚を変えたとしても、食生活を根本から見直さないと改善されないと私は考えます。味覚修飾植物を用い、味覚を変える事は、食生活を変える手助けとなるかもしれません。しかし、それは最終手段であり、真に食事を楽しむという点では好ましくないと思います。医療現場の枠を超え、日常生活にも用いられるようになった時、食事を楽しむ、味を楽しむという概念はどこかに消えてしまうのではないでしょうか。そう考えると私は、味覚修飾植物は医療現場だけで活躍して欲しいと思います。



Cさん 

 おいしさを考える上で、味覚と嗅覚の働きが占める位置は高い。本講義では、味の判別器官である味蕾とおいしさ全般を扱ったが、このレポートではまず嗅覚との関係について考えたい。講義中、「風邪を引くと味がわからなくなる」という話を聞き、おいしさという点で考えるなら、最初の味の判別器官は鼻なのではないかと感じたからだ。さて、このレポートを書くにあたって実験したことがある。それは梅干しを、鼻をつまんだ状態で食べるとどうなるか、という実験だ。案の定、「あじ」はわからなくなるのだが、耳の下あたりの唾液腺から唾液がじゅわっと分泌しているのがわかった。このことから、味を判別する味蕾は酸味を認識して、唾液を分泌させているが、食べた本人はその酸味を自覚できていないことが仮説として立てられる。もしそうだとすると、味覚と嗅覚はかなり密接な関係(相補的な関係)が成り立っていると想定できる。つまり講義中で触れた「経験と学習」の原理が味覚と嗅覚にも当てはまるのではないかという事である。「アイスを食べると甘味を感じる神経が活性化された」という経験と「アイスを食べるととろっとした(甘い)香りが嗅覚神経を刺激する」という経験が合わさることで、味覚嗅覚の両方が刺激された際、アイスは甘いと学習されるのではないだろうか。どちらか一方が刺激されないと味がわからなくなるのはそのためではないだろうか。栗原堅三『味と香りの話』によれば、幼児の味蕾は舌の上だけでなく口の中の粘膜にも広く分泌しており、口の中一面で味を感じることができるという。またショ糖を与えると顔がゆるみ飲む行動をするが酢酸溶液やキニーネ溶液を与えると口をすぼめ、溶液を飲むことを拒否するという。逆に乳児にバラの花の匂いと糞臭をかがせても、バラの匂いに特別な関心を示さないし糞臭を特にいやがらないという。これらから味覚と嗅覚の関係は相補的な関係と言うよりは、やはり味覚>嗅覚で、ヒトにとって生命活動にそれほど左右されない嗅覚は生育文化で形成されるものと考えられる。
 味の基本的な要素としては匂いを引き合いに出したが、テキスト資料図6では「風味」としてカテゴライズされていることを考えると、純粋な「味」ではないのだろう。味覚以外の感覚は、おいしさとの関係で考えなければならないのかもしれない。それでも純粋な味だけでなく体の諸感覚を通したおいしさを考えたい。それは豊かな食文化を考える上で、つまり食事の役割や大切さ、楽しさを考える上で必要なものだと考えるからだ。赤ちゃんの味蕾の数は約1万2000個あるというが、それは何でも口に入れて、食べられるものか判断するために、生きていく上での能力上必要不可欠だからである。成長するにつれて、食事をする意味はただの安全な栄養補給から、人としての豊かな営みへ比重がかかってくる。そうした人の食文化は、味覚を軸にしつつも、様々な感覚でおいしさに迫りたいと思う。ミラクルフルーツやギムネマなど味覚修飾植物による擬似味覚障害体験は、基本味の麻痺ゆえに多大な衝撃があった。それと同様に嗅覚でもそれに近い驚きがあった。このように考えると視覚や聴覚、触覚などのおいしさに関わる要素なので、例えば視覚障害や聴覚障害を持っている人はいわゆる健常者と同じおいしさを感じているのか不思議になる。私たちが当たり前と思っている「食す」という営みが実は多くの環境や条件によって成り立っていることに気づくのである。
 最後に味覚修飾植物の今後の展開であるが、教育に限って言えば擬似的に一時的に味覚障害を体験させ、味やおいしさを考えさせる点ではこれ以上ない材料と言えるのではないだろうか。自らの諸感覚を使った体験に匹敵する経験はそうはないだろう。またギムネマの糖分吸収の抑制効果は、味蕾を刺激させないよう錠剤にして服用することで、急激な糖の吸収(血糖値の上昇)を抑え糖尿病予防につながるかもしれない。味覚修飾植物がどれほど現存しているのかわからないが、今後新たに発見され、科学薬剤ではなく、自然物として、私たちの生活に溶け込むことで、自然の中にはまだまだ知られていない未知の世界が広がっている事に気づく共に、普段の食生活を見直すきっかけになれば良いと考える。



Dさん 

・講義で感じたこと、分かったこと、興味を持ったこと
 私にとって、今回の講義は驚きの連続でした。今までずっと信じてきた味覚地図が間違いであり、舌のどの部分でも全ての味を感じること。味蕾の数が成人で6000〜9000個存在するが、他の生物に比べて少ないこと、赤ちゃんの味蕾が12000個と成人よりも多いこと。ビールや炭酸の喉ごしは、軟口蓋や咽頭蓋にある味蕾により味わっていること。動物は、体内に必要な成分を含む箇所から食すこと。好き嫌いのメカニズム、味覚修飾植物の存在とその利用法など、全てのことが驚きと発見の連続であった。
 その中で、特に興味を持ったことは、「好き嫌いのメカニズム」である。好き嫌いは、@第一印象、A雰囲気、B経験の三要素があり、特に「A雰囲気」では、親が嫌いな食べ物をいやな表情で食べると、子どもが敏感に察知して自分も食べなくなるということを知り、決して子どもの我儘ではない事を知った。また、子どもがピーマンを嫌うのは、味蕾が多く、苦み=毒と本能的に判断していることを知り、子どもに食べることを強要せず、将来食べられるような時期を待つことの必要性を学んだ。
 また、味覚修飾植物の活用については、医療現場のみならず、老人ホームの食堂等で応用でき、さらには肥満化する児童の糖分摂取削減にも役立てると思った。全てのことが新鮮で、まさに「目から鱗が落ちる」といった心境であり、また同時に、多くの新知識を得た喜びでとても有意義な講義であった。

・味覚修飾植物の今後の展開や味覚について知ることの重要性
 味覚修飾植物の今後の展開としては、生産地が限定されてしまう物が多いので、タブレット化等の技術革新、安定的な供給体制の構築等多くの課題があると思う。これらの問題をクリアするため、資金や技術が必要となりますが、私を含めた多くの日本人がこのことを知らない。まずは、多くの人にこういう有用な味覚修飾植物を知ってもらい、普及に対する理解と協力を得ることが必要だと強く思った。島村先生が、講演で全国を駆け回るのも、味覚修飾植物を認知してもらうためだと思った。今後、日本だけでなく、高齢化している他の先進国においても重要なテーマとなり、世界的な関心事になる日もそう遠くないと思う。故に、これらの情報を知り、国家的な戦略がたてられるよう、国民的なコンセンサスを得ることが重要であると思った。

・その他の自分の意見・感想
 厚生省の統計によると、「糖尿病が強く疑われる人:約890万人、糖尿病の可能性を否定できない人:約1,320万人」という、全国民の1割近くが糖尿病あるいは予備軍として試算されている。対症療法では抜本的な解決にならず、予防の徹底が一層重要になることは疑う余地がない。さらに、糖尿病以外の生活習慣病の患者及び志望者も座視できない人数であり、迅速に抜本的な対策を講じる必要がある。このような社会状況下では、味覚修飾植物の活用は効果が期待できるのではないか。
 学校教育現場では、若年性の生活習慣病がクローズアップされ、「食育」が叫ばれてきた。しかしながら、子どもの体力低下や健康上の問題が解決に向かうまではまだ時間がかかる。意識改革に時間がかかるのは世の常であるが、子どもの健康は待ってくれない。我々、教師を目指す者が率先して問題を探り、一つずつ地道に原因を潰していくしかない。地道で根気のいる作業になるが、目の前の小さな不安より、遠くの大きな不安を現実にしないためにも最大限の努力を惜しまないようにしようと思う。
 今回の講義は、本当に楽しく勉強させて頂きました。ありがとうございます。



Eさん 

 私たちは5感により、そのものの状態や物事の性質を知る。それは、たいていの人にとって当たり前の状態である。小中高の授業の中でも、「感覚」について学習しているため、その働きについて、知るところはある。しかし、その当然に感じる感覚が、どんな働きをするのかは体験しなければわからないことである。つまり、これら感覚に関する知識は暗記的なものにとどまらざるを得ないのが実態であったと考える。
 その私の考えを打破したものが本時の講義で扱われた「味覚修飾植物」である。関する正しい知識を得て、5感のうちの味覚について意識するきっかけであった。「正しい知識」とは、「1 味を感じるしくみ」である。それは、食べ物の味を感じるには、唾液と混じり水溶液になる必要があること、水溶液になった物質が口の中にある乳頭に取り込まれ、その中にある味蕾で味が判別される事である。テレビ等の知識で、「味覚地図」の知識にとどまっていたため、その間違った認識を正すことができた。
 「ギムネマ」による体験で、味がない世界を知った。甘いはずのミルキーアメの本来の味を感じない。しかし、驚きはそこにとどまらない。皆と異なり、私は何かほんのり甘さを感じた。甘さはなくなるという説明を受けていたので疑問であった。その後の説明で味を感じるのは舌だけでなく、上顎や喉でも感じるという話だった。なぜみんなと感じ方が異なるのか理解できた。
 これらの味覚修飾植物は、お菓子をレモン等をもとに作ることで、糖尿病患者が無理して甘いものを抜くときにストレスを感じさせず生活改善を図ることやレモンそのものの摂取をしやすくする*。また、「ギムネマ」は、今の若者の食生活を考えさせる効果を果たすと考える。いずれにしても人々の健康面においてかなり効果を果たすと考える。
 ミラクルフルーツと呼ばれる植物は、ガーナやナイジェリアの赤道直下などの西アフリカ原産の植物Richadella dulcficaであり、オリーブ大の赤い実をつける。アフリカの現地の人は、ヤシ酒を飲む前や発酵したパンを食べる前にことフルーツを食べて甘味をつける習慣がある*という。この内容は、社会科においては、食文化を通した国際理解の地誌学習になるのではないかと考えた。それには、先行研究等を調べる必要や、教材開発とは何か、そして、味覚修飾植物とその役割の理解を深める必要がある。このような事を題材にした教材開発に取り組むことができるように努力していく。
 この講義後、味について意識するようになった。例えば、なぜご飯は噛めば噛むほど甘くなるか。それは、ご飯が細かくなってより唾液と混じり水溶液となったからではないか。このように、ふとこの時の体験を思い出す。体験を通した授業は学生である私にもこれほど大きな印象を与えてくれた。子どもたちであれば、もっと大きな感動、そして印象に残るであろう。先生になることができたら、今日のような講義ができたらと改めて感じた。



Fさん 

 今回、島村先生の講義を受けるまで恥ずかしながら“味覚教育”という教育があることを知らなかった。近年食育に注目が集まり、講義でも取り上げられていたように、食生活の変化により若者の間で味覚障害が広まっているということは知っていたが、味覚教育というものが、90分という時間をまったく感じさせない、大人の私たちが楽しく学べる講義として成立していることに正直驚きを感じた。最後まで興味を持って楽しく学べたのは、講義のテーマが、以前から食育に関心のあった私にとって興味深いものであったからということだけではない。講義内容が自分の実体験や疑問と結びつき、終始驚きと納得の連続だったからである。
 その中でも特に興味深かったことは、ジャンクフードや、香辛料などには薬理学的なおいしさがあるということである。私は普段ジャンクフードや香辛料を大量に使った(特に辛い)ものを健康に良くないという理由からあまり食べないように心がけているが、基本的にどちらも大好きで一度食べだすと止まらなくなってしまう。以前からその食べ始めると止まらないという現象がとても不思議だった。しかし、講義で「油には味はないが、摂取した時に脳内でおいしいと感じる快感物質が分泌される。」、「辛いものを摂取した時には脳内に鎮痛物質が分泌され、それにより快感を覚える。」という説明を聞き、あの感覚はそういうことだったのかと、とても腑に落ちた。
 また、実際に味覚修飾植物を試食することでその作用を体験したことも貴重な経験だった。私はギムネマもミラクルフルーツもその存在と名前は知っていたが、食べるのは初めてだったため、どちらも味覚の変化は衝撃的だった。今まで気にしたこともなかった味蕾の存在や、唾液と混ざった物質と味蕾の、鍵と鍵穴の関係も体験を通して理解することができた。やはり話を聞くのと実際に体験してみるのとでは違うなと、改めて感じた。ギムネマの試食は味覚障害の擬似体験という意味でも良い経験になったと思う。そして、島村先生がおっしゃったように代表者だけが体験するのではなく、受講者全員が実際に体験してみるということの重要性にも気付かされた。これは味覚教育に限らず、どの教育(教科)にも言えることである。対象者が子どもであればなおさらではないだろうか。教師を目指すものとして、授業の内容だけでなくこうした工夫も是非参考にしたい。
 私は、この講義を受けて味覚について知ることの重要性に気づくことができた。食べることは生きることであり、食事の質は健康の質を左右する。食事を楽しむという人間らしい文化も健康でなければ時に制限されてしまう。様々な食べ物が溢れている現代、寄食や味覚障害等の病気を予防するためにも子どもの頃(9〜12才)の味覚形成が非常に重要である。だからこそ、家庭での食事の躾や教育に加え、学校での味覚教育が必要なのだと思う。“味覚”や“味蕾”という言葉だけを見ると、子どもたちには難しい内容に思えるが、そんなことはない。授業のやり方次第では、たとえ子どもであっても食の重要性や味覚の仕組みを理解することができる。近い将来、私が教壇に立つ日が来たら、今回学んだことを生かし、楽しい味覚教育を行いたい。



Gさん 

 今回の講義の中で考えさせられたことは、人が日常生活の中で感じている味覚は生きていくための重要な要素の一つであり、どのような経験を積むかで変わってくるということである。まず、講義において気付かされたのは、私自身の味覚というものの間違った認識であった。私も当初は、人間の体には「味覚地図」のようなものが備わっており、自然と味を感じ取っているのだと思い込んでいた。しかし、人間は舌を始め、咽頭や喉頭などの口腔内から食道などに散在している味蕾によって味を判別しており、この味蕾が私たちが「味」を学ぶ上で必要不可欠なものとなっていたのである。当然ながら味蕾は人間以外の動物たちにもあり、生命活動を維持するための役割を担っている。味蕾の数は、各々の生態とその目的によって異なってくる。20万個もの味蕾を持つナマズであれば、濁った川で生息しているため目が悪いので、体表全体に味蕾がついており、敵の接近を感じとるようにしている。蝶の場合は卵を植物の葉に産むので、卵から出てきたばかりの幼虫がその葉を食べて死ぬことがないように、味蕾を用いて毒がないかを確かめているという。また、ハエにも味蕾があり、手や足にあるという話には驚かされた。これらのように人間だけでなく、各々の動物によってその用途が異なっている。人間の場合は、乳幼児の時期には1万2千の味蕾を持って生まれ落ち、成長するに連れて減っていく。その理由は、乳幼児は味に対する知識が全く無い状態で誕生するため、摂取しても問題がないものかどうかを判別し、自分の身を守るために味蕾を多く持っているのである。そして、乳幼児は成長する過程の中で母親の食べるものや作ったものを見たり食べたりしながら、何が摂取して平気なものかを学習していくのである。また、大人になるとこれまでの経験や知識で判別を行うようになり、舌で判断する必要がなくなっていくため、味蕾は減っていくのである。そのように、人間は生後すぐに「味」についての学習が始まり、9歳・12歳までで味覚の思考は決まってしまうのである。それまでの食生活で、どのような経験を積んでいるかが非常に重要ということになる。子供の頃からの味覚の形成が大切だということを考えると、現在の私の食生活も幼い頃の経験に基づいているのだと考えられる。私は上越市に来て一人暮らしをしているが、自分が好きなものしか食べず、嫌いな物は避けることも何度かあったため、今後は講義でもあったように調理方を変えるなどの工夫を交えて、好き嫌いを直すことに努めたいと考える。
 上記の内容と関連して、人にとってのおいしさは、「生理的欲求に基づくおいしさ」・「文化に合致したおいしさ」・「情報に基づくおいしさ」・「薬理学的なおいしさ」の4つに分類でき、特に「文化に合致したおいしさ」は子供の頃からの経験と密接に繋がっていると感じられる。例えば、地元に帰った時に母親の料理や地元の特産品がおいしく感じられるのはこのためであると考えられる。また、日本における料理文化と肉料理を中心とした西欧の料理文化の違いもこの項目に当てはまると考えられる。味覚の形成は、その人が経た過程のみならず、その人が置かれた文化・環境なども大きく関係していることに気付かされた。
 ギムネマとミラクルフルーツを使った味覚修飾植物の体験では、冒頭で書いたように「味覚地図」が間違いであると、身を以って知ることができた。味覚修飾植物の効果を体験したことで、人間が味を感じ取る仕組みとそこに至るまでの過程について考えさせられ、自分自身の味覚に関する価値観が変わったように思われる。
 これからの味覚修飾植物の応用としては、講義内でもあったように、糖尿病患者や肥満を改善したいという人の治療・生活習慣の改善に用いるべきだと思われる。私自身としては、糖尿病患者や肥満を抱える人に見られる、味の感受性の変化に着目して、味覚修飾植物の効能をこれらの人々に応用できないかという可能性も考えられる。

感想:1時間半という短い時間でしたが、自身の味覚についての認識が大きく変わりました。本文の中でも書きましたが、これまでの食生活を振り返るチャンスを頂いたことに感謝しています。私は医療に関する知識はほとんどありませんが、味覚修飾植物がこれからの日本の医療を変えていくことを願っています。ありがとうございました。



Hさん 

 私は食育という言葉を頻繁に聞くようになってから、食事の重要性について考えるようになりました。そんな中、一昨年、小学校一年生の学習ボランティアをしていたとき、好き嫌いが多い児童と出会いました。私はその児童に対して、どのように支援をしたら良いかとても悩みました。結局のところその児童に対し、「大きくなるために大切なんだよ」や「先生と一緒に食べてみよう」などありきたりなことしか言えませんでした。そんな経験を思い出し、島村先生の味覚の講義で何かヒントを得られないかをいう気持ちで講義を受けさせていただきました。
 講義を聴いている中で、私が現場を想像しながらヒントになるかなと思った部分は、「動物にとっての味覚」という章の中の「生きていく上で役に立つものがおいしい」これが動物にとっての味覚であるとおっしゃっていた部分です。このことから、人間も同様に舌で感じる味覚のみのおいしさだけでなく、生きていく上でのおいしさ、つまり、頭で理解するおいしさが重要であると感じました。苦手なものでも、それが生きていく上でどれほど役に立つのか頭で意識することで、味覚による苦手意識を抑制できるのではないかと考えました。児童に支援をするとき、「好き嫌いをなくせ」「ピーマンはおいしい」と強制するのではなく、まずいと思ってあたりまえである。苦いものはおいしくないと思うことは正常であり、嫌いになることはしょうがない。というように一度受容し、しかし、舌にはまずいかもしれないが身体にはおいしいと伝えることが大切なのではないかと感じました。また、島村先生はこれに関連して人間にとっての味覚とは『経験と学習』であるとおっしゃっていました。好き嫌いのメカニズムは@第一印象、A雰囲気、B経験であると述べ、好き嫌いを直すための2つの条件@頭の中の考え方を変えること、A本人が直そうと思うことをあげられていました。以上のことから、おいしいという味覚と同時に、その時々の“記憶”が大きなカギになるということを学びました。つまり、楽しく食事をとることが大事であり、その中で食の大切さを気付かせ、知識として学ばせることが重要であるということです。授業中に「好き嫌いをなくせ」というのではなく、児童と一緒に楽しく食事をし、そこで一緒に食について考えなければならないと感じました。そのためには多忙の中、教師は児童と一緒にゆっくり楽しく食事(給食)がとれない状況を改善する対策を考える必要性を感じました。
 小学校低学年、特に1年生に知識として教えることは難しいと思いますが、噛み砕いて、実践を交えながら、より日常生活にマッチした食の教育を行っていきたいと考えました。食べたいものはいつでも何でも手に入る便利な時代、食べ物がいかに重要であるか、私たちはつい忘れがちです。しかし、食べ物の重要性、食事の意味、おいしさの秘密を理解し、またそれに感謝しながら子どもたちに伝えていかなければならないと感じました。



Iさん 

 生きている以上、必ず食べ物を摂取する。その意味で味覚という感覚は一日の中で、そして一生涯の中で人間から切っては切り離せないものだ。しかし、あまりにも当然で身近過ぎる行為故に摂食の意義や味覚に関しての意識が希薄化しているように思う。特に私は一人暮らしが長いため、「食べられれば良い」「空腹が満たされれば良い」という意識で食事をとる事が多い。それは食費と調理時間の節約のために、素材や味付けを単一的にせざるを得なかったり、また自分一人のために作る食事なので「おいしさ」は追求しなかったりするからだ。この様に味覚に疎くなりつつある今、島村先生の「味覚の教育」を受けて、味覚を意識するという大切さを認識することができた。
 まず、あまりにも日常に溢れているこの味覚について、島村先生が16歳の時に「なぜこのような味になるのか」という疑問を持ち、その解決のために追求していこうと、研究職を目指し人生の仕事にまでなされたという事に驚き、感銘を受けた。私自身の16歳を振り返ると、おいしいものはおいしい、苦いものは苦い、酸っぱいものは酸っぱい、と当然のように感じ、何も疑問を持たなかったからだ。更に、例えば歯磨き粉やキシリトールなど、これらの後にフルーツなどを食べると味が変わるなども、そういうものなのだと捉えてしまっていて、疑問に思いそれを解明しようという思いには到底至ったことがない。こういった背景があり、本義で触れた味覚を感じるメカニズムや科学的な根拠などには大変関心を寄せられた。
 本義のキーワードは味蕾であっただろう。この味覚を司る味蕾という言葉も初めて知るものであった。「味の蕾」と書く言語観に強く納得させられる。「味蕾での味の判別方法は、鍵と鍵穴の関係に例える事ができる」(授業配布資料)とあったが、この説明は大変わかりやすかった。味にはそれぞれ専用の鍵穴があり、その鍵穴が埋まるとスイッチが入り電機信号として脳に伝えられると○○な味だと認識することができる。これを実証するように、ギムネマやなつめ、ケンポナシが味蕾(つまり鍵穴)を塞ぎ、味覚を取り入れないようにするという因果関係も体得することができた。そしてそもそもその味蕾で味を判別するためには、水溶液になることが必要であり、唾液がそのために大きな役割を果たすということも一筋の理論として納得することができた。また、味蕾は、成人でおよそ6000個〜9000個存在するという。その数には驚愕といっても過言ではないほどの思いを抱いた。赤ちゃんにいたっては12000個という数値である。何故なら、人にはそれと同数程の味を認識する機能が備えられているということになるからだ。味は基本味、甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の5種類であり、それらが交じり合って様々な味覚を味わうことができるということだ(島村先生HP)。自身の食生活を振り返ってみると、ほぼ単一的な味付けに慣れ、どれだけ味蕾の機能を使っていないかという事を認識させられた。本義で若者の味覚障害に関しても取り上げられたが、味細胞の生まれ変わりに必要な亜鉛を含む海草や貝類、そば、魚も極端に不足していることを再認識し、焦燥感に駆られている。
 今現在の自身の食生活の弊害の多さから認識を改め、今後改善をしていこうと思う。加えて、将来自分の家庭を持ち、配偶者や子どもに作る毎日の料理にも、本義で習得した知識を活用していかなければならない。人にとってのおいしさは@生理的欲求に基づくおいしさA文化に合致したおいしさB情報に基づくおいしさC薬理学的なおいしさの4つがあり、これらの基盤を築くのはまさに家庭の役割であるだろう。抹茶、緑茶、豚レバー、パルメサンチーズが特に亜鉛を多く含んでおり、その他の有益な食品も多数あるが(島村先生HP)、ほとんどが子どもの嫌いそうな食品であるように見受けられる。しかしそれらの食品が長寿にも有効的であることが実証されている。更においしいものをおいしく頂けるというのは、人が心身ともに健康である表れだと私は思っている。至福とも言える食べる喜びを衰退させてしまうことはとても悲しいことだ。生涯付き合っていく味覚は、自分自身だけでなく家族の生涯にも影響を与える。また、自分の子どもが培った味覚はその子ども、孫へと伝わっていくわけである。これらを念頭に置き、食生活を意識したいと思う。そして近い将来教師として携わる子どもたちにも食生活、味覚の大切さを教えていきたい。



Jさん 

 「ミラクルフルーツ!」その名の通り、素晴らしいものだとわかった。それは味でもなく名前でもなく見た目でもなくて、その可能性、奥深さ、なにより教材として。今回の講義は私の食べ物、人間や動物の体、家庭科の授業に対しての見方、考え方を大きく変えるものになった。それもあの小さな植物によって。
 最も驚いたことは味覚地図などないということ。先生は古い考え方とおっしゃっていたが、講義に参加していたなかでそのことを知っていた人は何人いただろうか。というよりいたのだろうか。私は味覚地図を授業で習ったわけでなく、テレビで見た覚えがある。根拠があってそのようなことが広まったのか疑問である。今日このことを学んでいなかったらテレビと同じように間違った知識を生徒たちに教えていたと思う。また味覚地図が間違っていることの証明も非常にわかりやすかった。
 初めて知って驚いたことはほかにも多くある。味蕾は上顎、下顎にも付いていて風邪をひいたとき食べ物の味が分からなくなるのはそのため。人間はジャングルで生活するように生まれてきているので、赤ちゃんは味蕾が多く、間違ったものを飲み込まないように舌が敏感であり、大人になるにつれて舌で判断できるようになっていくこと。人間と猿だけは他の動物と違って別腹があるなどである。ステーキ屋が鉄板の上にステーキをおいて持ってくる理由も人間の「おいしさ」を感じるメカニズムに対して非常に合理的であることに気づかされた。
 私は昔好き嫌いがはげしかったが今はほとんどない。講義を受けてその理由も少しわかった気がする。私の親や周りの人は嫌いなものを無理やり食べさせることもなく、食卓もいつも楽しい雰囲気だった気がする。またポテトチップスなどの油分の摂取は子ども自身で止めることができないと知った。私に子供ができたら講義で学んだことを少しでも実践していきたい。
 味覚障害の問題も深刻なものである。特に子供たちにこの恐ろしさを教えないと、欧米の食文化になりつつある日本では大変なことになると感じた。そのためにも、味覚修飾物質は有効に使えると思った。味を感じれること、おいしいものに対して「おいしい」と言える喜び、自分のために作ってくれたご飯に感激できることの素晴らしさなど、味を感じることができなくなることの恐ろしさを伝える必要がある。
 味覚修飾物質は教材としても大きな幅をもっている。また人間の生活にも広く対応できる可能性をまだまだ秘めている気がする。具体的にはまだわからないが、これから自分なりに素晴らしい教材として考えていきたいと思う。
 今回の講義では初めて知ったことが多くあり、本当に勉強になった。知識だけでなく講義の仕方も勉強になった。生徒をひきつけるためには、ちゃんとした根拠が必要で、そこから他のことに発展出来なくてはいけないことに気付いた。学んだ知識を今後の生活に活用していきたい。



Kさん 

 今回の授業で体験したミラクルフルーツとギムネマについては、高校の授業で味覚を変えるものとして先生が取り上げていたので名前は知っていたが、実際に体験したことはなかった。ミラクルフルーツを口に入れた後、酸っぱいレモンが甘くなると聞いていたが、まさかデザートのようにおいしく感じるとは思っていなかった。
 ミラクルフルーツなどの味覚修飾植物は、ただ味覚を変えて楽しむものというイメージがあったが、講義で糖尿病患者の生活を助けるものとして医療現場で活用されていることを知り、味覚修飾植物のこれからの可能性を感じた。糖尿病患者が甘いものを食べたくなったらミラクルフルーツと糖分がない食べ物を食べれば、甘いものを食べた感覚になり満足できるだろう。また、ギムネマ茶やギムネマの入ったガムなどを食べれば血糖値の上昇を抑えることができる。インドでは、ギムネマを糖尿病の治療薬として古くから取り入れられていたが、日本の医療ではそれほど浸透していない。味覚修飾植物を医療に導入することによって患者が何かを我慢したり、つらい思いをしたりせずに少しでも患者生活を楽にしてあげられるのではないだろうか。
 「味を感じることは健康だからできること」という島村先生の言葉がとても印象的だった。味覚障害について深く考えることは今までなかったが、今回自分が味覚体験で味をしっかり感じることができたのは健康であることの証明につながることを知り、味を感じることのありがたさを実感した。同時に、子どもに対する食育と大人に対する食育の必要性を感じた。加工食品やファーストフードは、味覚がおかしくなるから子どもたちにあまり食べさせない方がいいというよりは、栄養バランスが良くないから子どもたちにはあまり食べさせない方がいいという印象があった。現代は、加工食品やファーストフードは子どもたちの生活の身近なところにある。栄養バランスを考えながら食事をすることは大切だが、きちんとした味覚をしっかり身につける食事をすることも大切であることを子どもたちに理解してもらわなくてはならない。また、子どものときの味覚の傾向が決まると聞き、子どもの食事管理をする大人にも正しい食の知識を身につけてもらう必要があると感じた。食育を行うことは、身体づくりだけでなく味覚づくりでもある。
 今回の授業全体を通して、味覚の大切さを感じた。私たちは日常生活の中で、「おいしい」「まずい」「苦い」と当たり前のように感じていたが、それはきちんとした味覚があるからであり、当たり前のことではない。この授業をきっかけにきちんとした味覚を身につける食事について考えてみたい。そして、教師になった際に、食育と関連付けて子どもや保護者にも味覚を通して食事について考えてもらいたい。私がここまで考えたいと思ったのは、味覚体験をして味覚のすごさを体感したからであると思う。百聞は一見にしかずと言うように実際に感じることで味覚の大切さを感じることができた。