今回の講義で「人にとってのおいしさとは」という項目に私は特に興味を持った。生理的欲求に基づくおいしさ、文化に合致したおいしさ、情報に基づくおいしさ、薬学的なおいしさなど、おいしさにも種類があるのだと知った。特に情報に基づくおいしさというのが人間に特有の現象である事はとても興味深かった。このような人間にとってのおいしさについて考えると、それには食事をしているときの環境や、自分がどういう気持ちで食事をしているかなどの精神的な状態にも深く関係しているように思った。
私は高校3年で食事をとらなかった時期がある。様々な要因が重なり、私は食事をする事は貪欲で気持ちが悪い事だと思うようになり、食事をする事を拒んだ。その事を養護教諭の先生に話すと、「誰もAさんが食べているのを気持ち悪いなんて思わないし、食べてくれた方が嬉しいんだよ。人間はみんな食べないと生きられない。でもみんな食べるときに生きる為だとか、そんな事考えない。ただみんなとおしゃべりしながら食べたり、おいしい物を食べられて嬉しかったりね、それでいいんじゃないかな。」と言ってくれた。私の場合は少し特殊であったかもしれないが、その体験から今では食事をする事、しかも友達や家族と会話をしながらおいしく食事をとれるという事を、とても幸せに思う。
怒っている人がいたり、喧嘩をしている中での食事では、いくら料理がおいしい物であっても、おいしさの感じ方は小さくなってしまう。おいしさの感じ方にはその他にも、食器の色や料理の形、ストレス状態や個人好みなど様々な要因があるそうだ。しかし何よりも大切なのは、自分が食事を楽しもうとするかどうかであると思う。食事をするという事は基本的生活習慣であり、私たちにとっては当たり前のこととして受け止められる。しかしその当たり前の中で、人と一緒に食べられることや自分がおいしいと感じられる喜びを見出していくことが大切であると思う。そのためにも、今回ギムネマを使って甘味のない世界を体験することができてとても良かった。甘さを感じられるということがどれほどありがたいことであるかを私は改めて実感することができた。食事をすることが当たり前になっている現代、その中に喜びを見出すのは難しいことであるかもしれない。そこで、味覚修飾植物を使って味が分からない世界を体験することによって、普段の食事で味が分かるありがたさを再認識することはとても意義があることだと思う。味覚について知り、おいしいと感じられることに喜びを見出すことができるようになれば、食事ができるということに、より感謝の気持ちや幸福感を持つことができるのではないだろうか。飽食の時代といわれる現代こそ、味覚修飾植物などを使って、そのような機会を設けることはとても重要であると思う。